自分自身、「結果を出せる普通の仕事、ほどほど幸せな家庭、好奇心の赴くまま自由にふるまって40歳近く」になります。
今までたくさんの人に会ってきました。
失敗の経験も成功の経験もしてきました。
でも、ずっと根っこの部分で圧倒的な不足感と言いますか「何か足りない。」
・つまらんわー。
・あーつまらないなー。
って思い続けて生きてきました。
「リアルに100億あってもこのつまらなさは消せないだろうな」
と思っていました。
- この、つまらないの正体は何だろう。どうしたら満たされるのかな
ずっと思い続けてきました。
この記事はそんな「つまらないと感じている人」に対して、
自分なりに出た答え、
「つまった状態になった体験談」を書きたいと思います。
この記事では、今自分と同じくつまらないと感じていて、乾いた気持ちを持っている方へ
一つの体験談として読んで頂ければ、とても嬉しいです。
自分自身
「あーつまらないな。」の探求の度が過ぎ、
自分の人生の目標は、いつしか
- 解脱したいな、悟りたいな、人間以上になりたいな
そんな風に思うようになっていきました。
つまらない。と思い続けてきた人間が、たどり着いた答えとは。
自分自身、成長を目指していく過程の中で、
仲良くなった友人も割と破天荒な人種が多くて、
投資で稼いで何十億も持っていたり、
ええところのぼっちゃんとか、
逆に割と生まれが貧しい生まれ、中学校も行ってない。
気が合う人はいわゆる一般とは違うそんな少し変わった人たちと仲良くなることも多かったです。
逆に普通のレールをふてぶてしいレベルで悠々と進んでる友人もいます。
そんな中、生きていく中で「あれ?」と感じることが多くなっていきました。
例えば「すごく縁を感じた人がいて、仲良くなった後で分かったけど、妻と誕生日が完全に同じ。」
これなども感じるものがありました。
要するに、直感で感じたものではあるけど、「偶然がすごく目につくようになってきた」という話です。
本当に仲良くしてるメンバーって増やしたいですが、人生限りあるので限界ありますが、
仲いいメンバーが「子供が同じ年に次々と産まれている。」
- 直感で強く感じるものにはやはり理由があるのかもしれないなー。
そんなことを感じるようになってきました。
子供が産まれる時も、目の前の産婦人科が自分と同じ年月でそこで産んだこと。
こういった様々な偶然を感じるようになっていきました。
「これ世の中ってどうなってるんだろうな?」と、どんどん感じるようになっていきました。
年を取るたびに「もうこれって、自分の意志」とかいうより「導かれているんだろうな」という感覚が増えていってました。
すべての偶然が重なって必然だらけと感じて感動しすぎた
志をもって生きていると、やはり人生山あり谷ありでそんな中で、深い経験をすることもあります。
10年、20年と歩いていく中で細かく経験していく蓄積の話です。
ある日、友人4人で飲んでいるその時に会話の内容が交錯しまくって
「あまりにも確率で測れない。もしかして、糸一本の上を歩くような難しい可能性の海の中で我々は奇跡的に存在しているんだろうな」
と強く感じました。
人生が交錯して、報われていくような感覚がありとても良い時間ではあったのですが、
「そこにいる4人で感動してワンピース並みに号泣する」
そんな状態でした。
具体的ではなくてわかりづらいと思いますけど、「たくさんの偶然が重なり奇跡の上に成り立っていると必要以上に感じた。」
今休止してますが、「嵐の大野君」が「嵐のメンバーに感謝して、ずっと号泣していたような動画」があるのですが、そんなイメージです。
感覚が研ぎ澄まされて、すごく必然的なつながりを感じるというような経験をしました。
でも、「よく考えたら生まれるっていうこと自体がそもそも奇跡」なわけですから、それはもう人間には、認識できるようなものではないと感じています。
感動するってめちゃくちゃしんどい
極限まで感動したんですが、感動して脳みそがフル回転している感じがありました。
感じたことは、
「これはこれ以上感動したりすることあってもしんどいし、脳みそが持たない」という感覚がありました。
「人間以上になりたい、解脱したい」とか本人も意味わからないことを目指し続けてきて、
偶然をたくさん感じるようになって、感動しすぎてわかったことがあります。
- 感動することがめちゃくちゃしんどい、
- 人間の身で限界を超えて味わおうとするなんておこがましく、自分はもういい。
自分自身は心の底からそう感じてます。
流れで整理しますと
日々つまらないと思っていた→つまるような経験や結果を求めた→人生を進める中で偶然の必然を感じすぎて自分的にお腹いっぱい感動した→もういい
結論として
- ほどほどでもいいじゃないか
- つまらないと感じるくらいがちょうどいいじゃないか
- どうせ4んだらまたいろいろわかることもあるかもしれない。生きてる今じゃなくていい。わかろうとも思わない
そんな風に感じるようになりました。
つまらない日々こそが幸せだなと感じるようになりました。
妻との距離が近づく
いつも成長すると妻との距離が近づくのですが、
探求心をもって抽象的、哲学的な話を妻にもしていたのですが、
妻はそんなことよりも、
「どこのシュークリームがうまいか」とか、
「もっと生活が便利になるような道具はないか」とかそういうことに興味があるわけです。
全然自分とは話が合わなかったのですが、
今回、偶然の必然をたくさん感じて感動しすぎて、
- 粛々と毎日を送りたい
と感じています。
探求心が落ち着いた自分にとって
静かに過ごす日々がちょうどいいというか落ち着く部分が多いなと感じるようになりました。
自分が成長すると見える景色、考え方が違うから面白いですが、いい答えが出た時は自然と
妻との距離がいつも近づくことが多いです。
小難しい話を考えることなく、妻が好きそうな話も楽しめる量が増えて、
目の前の人生を楽しめるような気がしてます。
まとめ
人間である以上脳みその限界値が設定されているようにも思います。
器はそれぞれあって、個体差もあると思いますが、「あまりにも振り切るような状態」っていうのは、良くないと感じました。
いくらそれが感動的だからと言っても、感動してショック4とか困るわけです。
- ほどほどに、ぼちぼちと、適切に、適当に
赤ちゃんのベビーサークルは、よちよち歩いて柵を超えると危ないから柵をするわけです。
人間の体もベビーサークルのようなものなんじゃないかと感じています。
- 人間の身である以上、人間を全うすること
- 静かに、穏やかに、自分とまわりの人をなるべく大切に、それでそれ以上を求めてつまらないと感じる必要はないな。
生きれてればいやなこともあるし、感情が揺らぐことがあってもそれはそれで仕方ないと感じます。
生きてるだけで本当に充分に奇跡、何気なく感じた喜びとか楽しさをかみしめて、これからは日々を過ごしたいと思いました。