【子供は絶対に欲しくないと思っていたけど産んだ】妻といれば充分幸せだった中で、子供を受け入れるために向き合ったこと

この記事では、特に

「男性の子供を作ることに対しての体験談について」書いています。

自分は男性ですが男女問わないところも大いにあると思います。

今の自分の状況は、子供産むことを選択し、生後間もない新生児のぼくちゃんがいて、昼夜問わずずっと「えふえふ」言ってます。

この記事は

●子供を作ることに対していろいろ思いを巡らせている男性の方

● 子供が欲しいと感じていないパートナーをお持ちの方

●産まれるということに対してもろもろの葛藤をお持ちの方

等々の方に向けた記事となっています。

「妻は子供がほしい」と思っていたけど「自分は今のままで十分幸せと思っていた」

そんな頑なな状態から少しずつ変化していって自分と向き合っていった過程をお伝えできればと思います。

この記事では、子供を授かることに悩んでいる方に

「葛藤していた全てを出し切り伝えます」

それが「ほんの少しでも誰かに何かいい影響になればいいな」と強く思っています。

ちなみにですが、もちろん「子供が欲しくないという意見」に関しても、理解はできますし選択肢としてありだと思います。

もちろん正しさは状況などによって変わるものだと思います。

子供が欲しくない理由は

けして「子供が嫌いだから産みたくない」という気持ちから来ているわけではない部分がたくさんありますよね。

今思うのが、本当に子供は本当に授かりものというか、自分では決められない要素が多いんだなということを強く思います。

「結論がどうなったとしても思慮を巡らしたこと自体に価値がある」と思っています。

逆に知り合いの中に、「子供が欲しいのに産まれなくて必死で頑張っている方」もいます。

「この世に生まれることに肯定的な愛情をたくさん持っていることに心から敬意」を持ちます。

結果的に悩んだ結果、「子供を産まない」という選択をした方に対してもです。

また、夭折するような生命は高い波動の魂だったんだなとも個人的に思ったりします。

今、独身貴族の友人がよく、遊びにきてくれたりしています。

「叔父さん、兄ちゃん」をやってくれることがめちゃ助かります。

「独身貴族」という呼び方は正しいなとも思います。

家庭があることを見下したり、逆に家庭がないから見下すなんてのはありえないと思っています。

タイミングや縁もあると思います。

そういう「これが正しい論争」はありえないものですよね。

では自分自身の様々な葛藤について書いていきたいと思います。

【子供は絶対に欲しくないと思っていた理由】この世に生まれてくることが果たして幸せなのか

自分の場合、もうここから思いっきり躓いていました。

  • この世に産まれてくることは果たして幸せか。

びっくりされた方もいると思います。

学生の頃から「えー、そんなにいろんなこと考えなくてもいいよーはげるよ。」ってかわいい女子から言われたことあります。

ありがたいことに今もふさふさです。

「うそでしょ産まれるってところから悩んじゃったんですか?」って無理もなく生まれてきて良かったかどうか」というのは

人生の入り口も入り口ですからね。

【そもそも産まれることは幸せなのか?】

仏教でいう四苦八苦がある中で「生まれることが苦しみとなっている」

実際、生存するために「辛いことをより敏感に感じる人間心理」も備わっていますし、さらに「こけたら痛い」です。

物質的な痛覚などもありますよね。

愛する人との子供を、「まだまだ何にもわかっていないこの世に無責任に産み落としていいのか?」

という問いは「すごく過保護」ともいえる気がします。

別に自分の子供以外にも本来は、辛い思いなんてしてほしくありません。

仏教で、ものすごく説いているような超絶高難易度の問題。

「産まれてきたことに対しての回答を得られないまま子供を産むのは無責任ではないか」

そんな思いがものすごくありました。

でも「妻は自分との子供が欲しいと言っている」

その気持ち自体も本当にありがたいことです。

ただ一心に妻の思いにこたえたい

自分にとっては正直まずこれしかありませんでした。

その純粋な「子供ほしい」という当たり前すぎる思いに対して、答えれないくらいダメな自分ではあるけどなんとか答えてあげたい。

でも感覚的にはすごく抵抗がありました。

「子供出来たと分かったあたりでもまだ答えは見つかっていません」でした。

実際子供ができた後でも葛藤、そして「自分なりの答えが出た」生まれてきてよかったはどこに存在したのか

〇ぬほど葛藤して寺の住職さんなどにも話して全然答え出ずに悩みぬいて出た結論は、

「我をけして、外側にある愛情を感じることができた時に存在に気付くもの」です。

例えば、親が向けてくれた愛してくれているという波動が基本は高いものです。

そこに生まれてきて良かったは存在します。

もしいろんな歪みからすれ違い、親からの思いがメール10万通分ほど受信できていなかったとしても、

例えば、日本では電車がぴったりの時間にくること。

今目の前にあるコップのデザインも誰かが必死で考えてくれたもの。

そうやって、何かしらにすべて、愛情がこもっているのがわかります。

音楽、漫画、アニメすごく波動が高いものが多いですよね。

そして、自然。この地球、宇宙の中にある美に触れます。

植物の美しさ、自然の美しさ。

そもそも備わっているものが放っているもの、

太陽

こういったものを「自分の心をまず静めて外側から自分の姿を見る」

●自分→相手

という発想ではなく

●自分←相手

この「方向を変えるだけで、生まれてきて良かったが存在する」ことがわかりました。

例えば子供にもし「生まれてこなければよかった!」とか言われた時は、

そういう気になるのも無理はないと理解しているので、その気持ちに寄り添い、一緒に瞑想でもして、我を薄めたところに、愛を送り込んだらいいんだなと思っています。

そしたら感じ取ってくれるのではないかなと思います。

自分自身がこの世に生まれてきて良かったと思っている気持ちは、子供を迎えるにあたってとても大切なものだと思います。

逆に言えば「自分は生まれてきたくなかった」という「我のある気持ちをまだまだ抱えていたんだ」と子供ができたことによって気づかされました。

【子供は絶対に欲しくないと思っていた理由】妻がいるだけで充分幸せ・今の自由などが好き

自分の妻は一昔の芸人の妻のような方で、別に女遊びもOKレベルの 圧倒的な自由がありました。

自由を与え包み込んでもくれ、自分としては恩人のように思っていると思います。

もちろん今は30代後半ですから、何もかも遊び倒して落ち着いていきました。

そんな妻に敬意を払っておりましたので、今は、二人の時間が何より大切だという気持ちが強くありました。

残り少なくなっていく人生、

  • 子供と三人で過ごしたくない。二人で過ごしたい。

そう思っていました。

  • 妻は子供と三人の幸せが欲しいと願っていたのですが。

しかし、最終的にこの気持ちが薄らいだのは、子供ができた時ではなく、出産のときだったかもしれません。

妊娠後からずっとお腹が大きくなっている姿を見ることになり、

そもそも変わっていく妻の姿が心配で、「終始お腹にすら触れてません」でした。

そんな中、「出産した」という事実が認識を変えました。

立ち合いはしていませんが、奇跡的に子供は分娩室に上がってから1時間半でつるんと産まれました。

奥さんからすれば「思ったより楽だった」とのことです。

結果楽だったとしても命がけで子供を産んでいる・無事に生まれるかは本当にギャンブルという事実

出産は、まさに命がけで臨む瞬間で、今は少ないと思いますが、実際に命にかかわることもあると思います。

命にかかわるとかも関係なくめちゃくちゃダメージを負ってボロボロになります。

その事実がもう割と辛いものです。

祈る以外の選択肢がない

そうやって、

命がけで出産した上に、無事産んで嬉しそうにしている姿を見た時に、

これを否定することはもはやできないな。。。

「子供を産まなきゃよかった」という思いはここで持ちたくても持つことができなくなりました。

めちゃめちゃ細くて30キロ台、身長も小柄30代後半初産。

ハンターハンターのリスキーダイス的な命がけのギャンブルを否定するわけにはまいりません。

【子供は絶対に欲しくないと思っていた理由】自分に子供を育てれる自信がない

この気持ちが強くありました。

今でもあります。

何が起こるかなんてわかりません。

しかし、今思うのは、誰も子供を一人で育てている人はいないと思います。

様々な力を借りるしかないという理解をしています。

  • 資源、人、運

仮に「自分だけしかこの子を守れる人はいないんだ!」という強い思いをもっていたとして、

私一人で育てる!

と強く決意した、その日の夕方、スーパーに寄って買い物をします。

その際に、スーパーに寄っている段階でもうすでに人の力を借りているという事実があると思います。

スーパーという場所で買い物ができるためには様々な人が関わっています。

帰って水道の蛇口をひねり、石鹸で手を洗う。

猛烈に人の力を借りています。

くどくなるから辞めます。

ナスD並みに「無人島で生活」しても、人間以外の様々な力を借りることになると思います。

学校の先生に相談したり

そうやって、「我を消して周りを見渡す」と気づきました。

「子供は自分だけで育てるものではない」ということなんだなと思いました。

日本は今のところ、お金がなくても、義務教育は受けられますし、こうやって「人の力を借りることができる自分

の心の在り方」を作っていくことが大切なんだなと思っています。

せめて相談できる、声を上げれる人になりたいものです。

このくらいの思考でとりあえず子供が生まれるまでの部分はカバーできたように思います。

まとめ

今もずっと泣いてる新生児の赤ちゃんですが、この前、新生児微笑ではない感じで、子供が笑ってました。

笑うということがこの世の中でできる、それはとてもすごいことだなと思います。

エヴァンゲリオンがちょうど2021年に終わりました。

子供を受け入れる男性の葛藤、女性にすがるエゴにはすさまじいパワーがあると思います。

女性には母性が宿っています。

男性にはまったくもってわかりにくい感覚です。

ただこの母性という概念こそが大事なんだと気づかされました。

「おさかなくんさん」とかは「すごく母性的な男性だな」と思いますが普通の男性はあんな雰囲気でないですもんね。

今回言いたかったことは、子供を産む産まないという選択の話ではもはやなくなっているかもしれません。

子供がいるとかいないの話ではなく

産まれてきて良かったと感じる量が増える毎日が送れること、そんな方向に向かえることが何より大切なんだと思います。

今回の記事は、自分なりに「子供を産むかどうかの選択」はどうであれ

「出産に至るまでのどうしようもないほどの恐怖、不安感に寄り添いたい」という思いだけです。

素晴らしいのは、人によっては「子供が生まれることを自然にとらえ気にしてないような人もいる」と思います。

かっこいい。すごいです。

もし周りに「ジブリに登場するような、大声で笑う女性的な感じの人」や、「でぇじょうぶだ、なんとかなる!」といった主人公感のある人を発見して寄り添ってもらうのも手かもしれません。

「産まれてきて良かった」をめちゃくちゃ味わえる総量がすさまじく増えていく世の中になってほしいと願うばかりです。

自分自身まだまだですから、引き続き、まだまだそういう感覚を増やしていきたいなと思います。

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↑実はこの記事は子供ができたことで強制的に発見した産まれててよかったをその場で書いた記事です。

よりリアルタイムですが同じような内容を書いてます。

↑子供にも伝えたいことです。

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