ドラゴンボールZ復活の「F」が一番好きなので徹底的に学んでみた。

最初にお伝えしたいのは、「だいぶ時間が過ぎてから投稿しています」が、

一応ネタばれ注意です。

特に「見てないファンの方」は絶対に読んで欲しくないです。

映画をみた上で、読んでいただきたいかなと感じます。

こちらは、「あえての登場から6年後で今更ながらに書いてる記事」です。

ドラゴンボールを語るためにピックアップした映画となっております。

「一意見としてほんの少しでも楽しんでもらえたら嬉しいな」と思います。

この映画を映画館に見に行ってきましたが、それも良かったのか「たくさんのことを感じました。」

大好きだからこそ感じれたことがあったように思います。

結論としては、自分の中ではドラゴンボールの中で最高傑作でした。

「ドラゴンボール自体がとても好きです」ので、感じれたこともあったんじゃないかなとも思いました。

人によっては面白くないという人も、もちろんいていいと思います。

ドラゴンボールZ復活の「F」が一番好きなので徹底的に学んでみた。

「復活の「F」で感じたこと」をお伝えするために、

「もともとドラゴンボールから感じていたこと」をお伝えしたいのですが、

ドラゴンボールというお話自体も、

悟空が子供のころ「ピッコロ大魔王と戦うあたりから相当シリアスに」なっていきました。

基本的な自分の中でのドラゴンボールのイメージは

「ギャグアニメベース」で

「限界をはるかに超えた強い敵」がでてくるけど

敵をどんどん仲間にしていきます。

「悟空にあって毒気が抜かれて」適役もみんな変わっていきます。

良く考えたらサイヤジン編のナッパ・ベジータとの戦いで、

「仲間がたくさん4んでる戦い」で、

「今度は自分一人で勝ちてぇ。あの強さ56すにはもったいねぇ」って常人では考えられない理由で、

「当時バチバチの敵役の瀕死のベジータを逃す」という「とんでもないことしでかすあたり」がすごすぎます。

シリアスな重さだけではなく「独特の軽さと楽しさ」を持ち合わせながら

「何とか勝ちをおさめていくあたりの展開をとてもいいな」と思って、

自分も「軽さとか楽しさ」はとても大切にしています。

そして、「純粋な強さを求める中」で、

  • 地球の神様が出てきて、
  • あの世が出てきて(界王様)
  • そして天界の更に上の界王神様、
  • 最後に大界王様が出てくる

というところまで世界を拡大していきました。

そんな中で魔人ブウ編が終わり「17年ぶりの時を経て」満を持して再登場した

映画「神と神」からでてきた新キャラクター

「破壊神ビルズ」が登場します。

ビルスは破壊の神という最強ポジションです。

おそらく「破壊の神なんて最強ですよね。」破壊の神ですから。

しかし、「実は破壊の神を超えている」

「ウィスというキャラ」がいます。

このウィスというキャラが今までになくて、個人的には目を引きました。

一番お伝えしたいところですが、「ウィス」は完全に「この世とあの世すら超えた輪廻を超えた存在みたいなキャラ」だと感じました。

ここから大変申し訳無いですが、「ドラゴンボールを見ている自分」という視点で

ほんの少しだけ「完全に個人的な見解にお付き合いをいただきたい」のですが、

自分自身、アニメのように常識を疑い、「精神病者や大富裕層との出会い」など 幅を持ってたくさんの方とご縁をいただきました。

「人に騙されたり助けられたり、出会ったり別れたり」たくさんの経験をする中でしたが、

  • 「精神とか魂」ばかり大切にしていて、

「体(生きることそのもの)を大切にしていなかった」ということについて感じていました。

  • 「身体があることで、魂もある」

命のことを、「魂の器」とでも思っていましたが

「命は魂そのものであること」を見落としていて、そのことで「命を軽視していた」気がしていました。

「脳はバカで体は賢い」と言うような言葉もありますが(田中泯さんという俳優さんの言葉)体の大切さや尊さを一言で言い表していらっしゃる気がします。)

ドラゴンボールで言うところの「身勝手の極意的思考です。」

基本ベースは、やはり生まれてきた以上成長したいし

「できれば悟空のように限界を超えたところにいきたいな」と、真面目に願っていたりします。

それには「体を持って生まれてきたことを学び終えないといけない」気がしてます。

そんな中でこのウィスという存在だけが

「時間、輪廻転生すら超越した存在」として描かれているように感じました。

「輪廻転生を終える」というのって仏教でも「解脱」とか言われてますよね。

ドラゴンボールZまでの「大界王神様の段階」では、

「人間としてまた生まれる」というか

「魂は天界と地上を行き来するような輪廻転生する印象」があるのですが、

「ウィス」は自分のことを「ウィスという生命体」と語っています。

なんかここに、「輪廻すら超越」したところにいて、

「一つの生命体として存在してる」って感じがすごいなって思いました。

「解脱してるのに肉体ある生命体的なイメージ」です。

単純な強さ、「最強」を追求すると「精神論的なものがバッチリ入ってくるんですか」と感じます。

ウィスに対して「輪廻を超えた存在」という風に勝手に捉えていますから

「このウィスを最強キャラとして描いてるあたりがすげー」ってなりました。

ここまでは完全に抽象的話でしたが、具体的なところもすごく良かったです。

「まるでワンピースがドラゴンボールを立ててるかのような印象」を勝手に受けた小ネタ

クリリンは警察官として活躍してるんですが、

「クリリンの着信音」が「ワンピースの曲」で「クリリンからルフィを連想させる小ネタ」がありました。

そんな「クリリンから、ルフィを連想させた」うえで 

「悟空お前が頼りだから頑張れよ。」

みたいなのが、

「まるでワンピースがドラゴンボールを立ててるかのような印象」を勝手に受けて嬉しかったです。

「ワンピースの神がかり的な素晴らしさ」を知ってるからこそ

相当ここには熱いものを感じました。

だって映画で「ワンピースの曲使っていいですか」ってきっと交渉してますもんね絶対。大人が。

あとはやはり「悟空が好きであればある程」

今回は 
「悟空の最強ヒーローとしての思い上がりみたいなところの描き方」もよかったです。

最強ヒーローの悟空が「まさかありえないザコキャラのビームで致命的なダメージになる」という描き方に加えて

逆に「べジータが結果的に初めて悟空の上をいくかも」というところも相当良かったです。

「どれだけべジータが悟空を超えたいと一心で願ってたか」知ってれば知ってるほど、刺さりました。

ウィスが稽古中に、べジータと悟空の欠点をあげながら指摘したのは、

  • 柔軟に肩の力を抜いて物事をとらえる視点(べジータへの助言) 
  • そして満身しない心で積み上げていくことの大切さ(悟空)

そしてライバルがいるから成長するということですが、

この辺りはまるで

「悟空のようにアニメ界で最強になった鳥山先生自身がそうやって自分を戒めてるのが感じられるよう」でした。

フリーザにとっての地獄が一般的な人の天国である感じもよかった

「お花畑で妖精に囲まれてるフリーザは笑える」だけではなく「実際、根が悪のフリーザにとっては地獄なんだろうな」と感じました。

ここでは「結局天国も地獄も表裏一体でとらえ方によって変わる」という印象を受けました。

「フリーザにとっての地獄でずっと過ごしたら、「さすがのフリーザも絶対に丸くなって生まれ変わるに決まってる。」

だとしたら「やはり地獄も成長するために存在するんだ」とか、いちいち思いました。

「地獄でも、成長しかないからフリーザという悪も見捨てない」って感じがしました。

基本的にウィスなどがいるから「地球が一回爆発したけど元に戻したり、今までよりも悲しみが相当に軽い。」

これは今の鳥山先生の 「生と死のとらえ方がこのくらい軽いんじゃないかな」って気がしました。
もう「人間であることの生とか死を超越した感覚を先生自体が持ってる」気がしました。

また、孫ご飯が「戦闘とは一切無縁の世界にいて胴着すら忘れて戦ってる」っていう描写もまさに鳥山先生自身とも感じました。

また漫画家(スーパーサイヤジンになれっかなぁ)
みたいなとらえ方をしました。
同じく、亀仙人こそ、老体に鞭打って「久しぶりに頑張るかっ」て鳥山先生自身の心な気がしました。

単純に髪の色を赤くしたり青くしたりとかストレードでシンプルな表現好き

以上の理由から 久しぶりに登場した鳥山先生が描いたドラゴンボールの話は、破壊の神が出てきて、

それすら超えたウィスという生命体を通して新しい景色を見せていただき、

当時30歳になった僕の心をとらえて離さずでした。

「ずっとドラゴンボールやん自分の人生。」いつまでドラゴンボールでいくん?と言いたくなります。

壮年期を迎えた鳥山先生にしか書けない軽やかだけど、中身のある素敵すぎる作品に、「漫画家でもないのに、嫉妬するレベル」でした。

溜まってきたドラゴンボール超を読むのも楽しみにしています。

ベースの関連記事:ドラゴンボールがなぜ好きなのか徹底的に伝えたい。

この記事を読んでくださった方、

「なぜドラゴンボールが好きなのか」その根本をぜひともお伝えさせていただければ嬉しく思います。