結果
朝1.1% 夕1.2% 手法通りのトレードができた。
大事な点
- 自分は「負けてあたり前」という感覚を継続すること
- 勝てても「運良く勝てたありがたい」という感覚でいること
考察
今日は「5,10日」の月末です。ドル円もわかりやすく上昇し、
ほとんど含み損を見ることなく、平穏に勝てました。
こういう時に「フルスイングでリスク取ってエントリーできれば収支は変わってくるんだろうな」と感じました。
メンタル的に、負けて当たり前という感覚を持つことで、とても穏やかにトレードができました。
引っ張りが足りないというところはあったかもしれませんが、ここに記載していくうちに気づきが深まっていってますが、「リスクリワード的にOKです。」
利確し伸びたことに対してイライラするのも違う
- 負けて当たり前の自分が勝てた。
ということは、
「利確できたなら、その利確を喜ぶべきかな」と思います。
その後、伸びたことにイライラして良いわけがありません。
それは自分としては身の丈にあっていない考えです。
- 「リスクリワードがあっていて、取れたのなら充分」ということです。
「負けて当たり前」という感覚があることで自分としては
楽にトレードできているし、
「運良く勝てたと思うことで、勝ったことに対しても謙虚さを損なわずにすむ」と感じています。
「勝ち続けている状態というのも毒になる」と常に心がけていきたいです。
「大切なのは確実に成長すること」と意識して、相場と向き合い続けたいと思います。
仕事が忙しすぎて、投資する時間が持てませんでしたが、日常生活から意識を変えて取り組みたいと思います。
曖昧さを受け入れ、すべて完璧に取ろうと思わない
「たい焼きの頭と尻尾はくれてやれ」こういう言葉を聞いたことがありますけど、
- 一匹まるごと取りたい。
- 頭も尻尾も料理したい。
と思っていました。
- 勝っても悔しい。
- 負けても悔しい。
無駄なストレスがかかりました。
全部取れなくても良い。
このベースにあるのは謙虚さです。
謙虚さというか諦めです。
諦めというより納得があり満足があることで、ストレスが減っている印象です。
命がけで勝負している人は熱くなって悔しがってもいい
たった一回のこのチャンスにかけて超ハイレバ勝負。
そして勝ったり負けたりをしている人っていると思います。
一つの正しさだと思います。
勝ちパターンでもあるし、悪くないことだと確信します。
そういう状況の人は逆に負けたことを「悔しがる権利がある」と思います。
自分自身は、そういう世界観で生きるのに疲れて降りて生活者としてのトレードをしています。
- 勝って自信をつけるでもなく
- 負けて悔しがることもない
この感覚が今の自分には向いています。
「勝たなきゃいけない」と思う気持ちが出た時に常に、
負けて当たり前、悔しがる権利なんてない。
まだまだ、継続して自分に言い続けたいし、この感覚がない時にトレードしても良い結果にならないと思っています。
ほんとに世の中が奥深すぎて、玉ねぎみたいに向き続けたらどうなるのかなと感じます。
余談ですが、今回の相場に取り組み続けた結果。
「自分は凡人なんだという感覚が湧いたらディズニーなどのテーマパークへの苦手意識も薄れてきました。」
明石家さんまさんが「生きることに必死」といっているのを聞きました。
まさに命がけで生きている人の言葉で、
あぁやはりトップってそういう感じか。
と改めて思いました。
世の中を知り、身の程を知り、納得を超えた満足を得る。
「身の丈に合わせて、勝負感をつけることが大切なんだな」と、「引き続きどれだけ差し出せるのか」ということを意識します。
そして差し出した分は「しっかりリターンに変えて、満足し、それ以上は求めない。」
大人になってきているので、こういったことを深く理解して、きれいな生き方をしていきたいです。
そんな自分の凡人である生き方を信じて満足し、優位性を感じ、そこにロットを入れていく量を増やしていくことで、自分だけの人生の相場道が切り開かれる。
「鬼滅の刃の主人公はもともと村人設定だった」という話に繋がります。
モブキャラの村人には村人の戦い方があるということですね。
自分という素材の長所と短所を知る。
相場と、己との会話を引き続き、継続していきたいと思います。