結果
- 午前中プラマイゼロ
- 手法通りのトレードができた(分割でトレードするのをフォーマットにする)
大事な点
- トレード日誌にも「手法通りのトレードができたのか」という項目を追加します。
- 「待てない」のであれば、分割で入ること。
- 頑張らない。一生懸命やることのないようにする「つまらなさ」を大切にする
- 「大いなる沈黙」静寂を好む。シャルトリューズ修道院と妻に学ぶ、生きる本質。
考察
先月は、刺激のないことに飽きて後半戦から、ワントレードで、2倍チャレンジみたいなことをして、結局最後には、利益を飛ばしてしまいました。
- 相場に娯楽や、刺激を求めた結果だと感じました。兼業トレーダーとして、仕事終わりのパチンコみたいな感覚でトレードしてから全てが崩壊していきました。
- また変化することの価値ばかりを追求していた体と思います。
この反省を受けて
- これからは手法通りのトレードができたかどうかを厳しくチェックするようにします。
トレード日誌にも「手法通りのトレードができたのか」という項目を追加します。
リスクリワードの確認含めて
- 納得のないトレード撲滅。
- 損切りに感謝できるようなトレード。
「作ったものを維持することを目標にして、徹底して自己管理をやっていきたい」と思います。
10億プレーヤーの友人も、変化成長を取り入れようとして負けるようになっていった姿を見た。
相場は、二度と同じものがないと言いつつも、普遍的な動き方をしています。
- 自分の軸を作り、そこを守る。
- 自分だけの優位性を構築する。
- そして、守り抜く。
どれだけうまく行っていた人間でも、噛み合わなくなると負けます。
あれだけ相場の申し子みたいな人間が負け始めたなんてとんでもないことです。
自分が見る限り、彼が負け始めたのは、「彼が優位性を手放し変化したから」です。
「もともと変わる必要のない男」が、「結果を掴んだことで変わってしまった」のかもしれません。
今まで変化成長をすることを追求して、実際に変化して来ました。
自分の表情がとても好きだと言える様になっています。
変化は「自分を疑い、俯瞰的に見ることで、気づかなかった新しいことに気づくことで、起こります。」
そうやって変化し続けてきた所、ある程度、自己満足の行く人格になってきつつありました。
「しかしまだ足りない」と追求を深めた先に、逆に今回の学びがありました。
- 変化しないことの価値
- つまらないということこそ安定で平和であるということ
投資をする上でこのことに気づきました。
ようやく「もう変わらなくてもいいよ」との天からのメッセージを頂いたようで、「自分にも納得できた」気がします。
変化を求めない妻をつまらないと思っていました。
妻と自分自身は対局的な存在で、本当に大切にしてもらってきたなという自覚がありますし、自分なりに大切にしてきたのは事実ですが、妻に対して
- つまらない
- 退屈。
そう感じていました。
正直、変化したり成長したりすることのない妻の姿勢に対して否定的でした。
ポケモンでも「進化するポケモン」と「進化しないポケモン」いますが、「進化しないポケモンに進化しろよ」と言っていたようなものです。
しかし今となれば、
自分自身「コラッタのくせにミュウツーに対して進化しろよ」と行っているような気さえします。
「コラッタ」が進化して「ラッタ」になったところで、ミュウツーの足元にも及びません。
しかし、自分自身が成長することで、
- 現状を粛々と維持して、刺激を特に求めていない穏やかな日常を過ごす姿勢はとても価値がある
そう感じるようになりました。
実際にそういう妻の安定した生き方のおかげで、自分自身、「冒険できた」という自覚があります。
20代でお金ぶっ飛ばしてなくなるくらいまでチャレンジできたのは、常に妻の中にそういう哲学が浸透して、そばにいて、支えてくれていたからにほかなりません。
妻自身の「まるで、お寺にでもいるような、安定した自己規律」に対して、真に学ぶべき姿を見ました。
19歳から共に過ごし17年かかりましたが、現状を維持する大切さという視点を持つことが大切だと気付かされました。
新しい観点を常に探す視点は常に大切にしますが、それ以上に相場では粛々と穏やかな日常を愛したいと思います。
シャルトリューズ修道院に学ぶ
「大いなる沈黙」という映画で取り上げられているシャルトリューズ修道院という修道院では、
「沈黙して、粛々と送ることの中に、幸福を見出す修行(日常)」が行われています。
今回の刺激なく日常を過ごすという話の頂点に君臨するような話なのかなと感じています。
大好きなドラゴンボールのかりん様からパクリ散らかして
このブログの名前にもした「天空猫」という名前の本質、
「天空はどこか」と聞かれたら「シャルトリューズ修道院が今知る限りでの最適解」です。
退屈を紛らわす刺激、俗世間的なものとは対局にあります。
- 一見すると退屈と思えるようなところに価値を見出していくという視点
このあたりが、自分の追求している相場道と親しいものを感じています。
今回の気づきを持って、奥さんと呼んでいましたが、妻と呼びたいところです。
改めて、日常を守ってくれたことに対して、深い感謝を感じる様になりました。
- 瞑想
- 祈り
とにかく、これからの人生はここまで変化して作ってきた「現状を愛し守る」という視点を持って相場と向き合いたいと思います。
2020/09/01、新しい視点で人生がスタートしたばかりです。
8月30日なんかは、ビール10杯、チューハイ5杯飲みすぎてダウンしていました。
これからの人生は、あらためて、現状を維持するといった方向をチェンジしてつまらないということを追求したいと思います。
このつまらなさについては、普遍性を感じているのでまた別記事として記事にしたいと思います。