- 人は突然産まれて、生きることになります。
- わけもわからないけど物心ついたときから、「積み上がっている人間社会のルールを遵守するように強いられます。」
- 「結局何のために産まれてきたのか」と言うことに対して、答えが出ないまま「わからないところから勝手にスタート」します。
「なぜ産まれてきたのか?」
という問いから目を背けたり、考え続けてもあまりに壮大なテーマ過ぎて、答えが出ないものです。
- 「別に他の生き物を殺したくもないけどお腹はすく。」
弱肉強食のルールのもとで「知らないうちに他の動物を殺生し、いただかないといけなかったりします。」
他の生命をもらいながら生きながらえ、時には「悪気がなくても周りを傷つけたりしてしまいます。」
そして物心ついた頃には、片足どころかどっぷりと全身「食物連鎖で生きること」や「人間社会」に組み込まれています。
幼稚園の頃、友達みんなでアリを食べたことがあります。
酸っぱかったです。
幼稚園の先生にも酸っぱさが共有したくて「先生すっぱいよ」と食べて見るようにおすすめしたことがあります。
断られました。
担当の幼稚園児が一斉にアリを口に含んでいる姿を見て悲鳴を上げている姿が印象に残っています。
10匹連続で食べました。
もうひとつ「先生の着替えを覗きに行こう」という天才の誘いに乗って着替えを覗きに行き、下着姿で驚いている姿を純粋に楽しいと思った記憶があります。
人生で
- いきなり病気になったり、
- やりたくもないことを強いられたり、
- 学校に行かなかったら疎外感を感じたりしながら過ごします。
この記事は「生きることについて考えている方」や「少しでも、日々気分を良くしたい」と願う方に対して書いています。
自分なりに「周りにいい影響を与える」ということについて考えてみようというのがテーマです。
そんな中で、自分が「誰か周りにいい影響を与える」ということや、「周りに喜んでもらえた瞬間」ということは生きることに対しての慰めになると思います。
以前「天才!志村どうぶつ園」かなんかのテレビで
「潰れかけの動物園で働く女性」がでていて、「動物の世話が好き、動物のフンの掃除が好き」と言っていました。
その人の発言から「命に対する優しさ」を強く感じました。
脳内物質の実験結果でも「幸福物質セロトニンが出る時」は
人が幸せを感じる時は、「人に喜んでもらえていると感じる時」となっています。
人間はそう作られているんでしょうね。
「周りにいい影響を与える」ということについて考えたいと思います。
【相手を喜ばせる最強の方法】人は助けることで助けられる。【生きているということ。肉食について深堀り】
肉食について
一度、自分なりに肉食についていろいろ考えたことがあります。
「別に肉を食べなくても生きてはいける。」
一時期なんとなく「やめようかな」と思ってしばらく食べなかったのですが、
嗜好や栄養の観点から、やはり今も食べることを選択しています。
自分自身も生きるためです。
むしろ肉の味が好きです。
「食べる時に感謝する」という言葉がありますが、
「逆の立場になった時にどう感じるでしょうか。」
人間が「逆に食べられる側に回る」というテーマの「小説や映画やアニメ作品」はかなりあります。
基本は絶対イヤですが、
もし、「自分が誰かに食べられた」場合、
「相手から感謝された」として、
「その人に対して納得できるでしょうか」
自分は全然納得できないと思います。
「じゃあ、ご飯食べる時に「いただきます。ありがとう」と言ってるだけではだめなのかな。」
「感謝を越えるものはないかな?」と考えたことがあります。もし、
- その人がいなきゃ、地球が自転しなくなって回らなくなる。
というような人がいた場合に「自分がそんな人に食べられたのならどうだろう」と考えました。
感謝されるよりもずっと「そうか。」という風になると自分は感じました。
自分は「地球の自転に必要な人、世の中を支えている人に食べられたんだな。」
「仕方ないか。」
そんな人を活かすために、自分は食べられたのだとしたら変に感謝されるより、納得感はあると感じました。
昔読んだ小難しい本に
食べることで「生かされている」と言う言葉を聞いたことがありますが、
自分自身はたしかに今「食べ物から生かされている」ということを前よりは少しだけ認識しています。
「世の中を支えているまでとは行かないけど、せめていい影響を周りに与えたい。」
自分のそんな気持ちはこの「食べることを深く考えた部分」から来ていると感じています。
納得してもらえるような生き方はまだまだできていないように思います。
結局、「いい影響を与えたい」と思っていることで、「生きることの後ろめたさから解消され、自分が助けられている」と感じています。
助けることで一番助かるのは自分【自己犠牲はいらない】
大切にしなきゃいけないのは自分の気分を良くすることです。
これはもう絶対にやっておかないといけないことだと思います。
「呼吸をする」と同じくらい必須なことだと思います。
自分の気分が良くないのに周りのために動いても、正直、効果はとても少ないと思いますし痛々しいだけです。
まずは自分を大切にするということだと思います。
「なにかできている自分」ではなくて
「存在しているそのものの自分」を理由なく大切にするということがとても大切です。
理由はないと言いましたが、すでに自分の命は「支えてくれた命の上に成り立っている」わけですからね。
関連記事:考えるということに目的地をつける
自分を楽しませるということはものすごく価値があると思います。
結果として周りも助けます。
上っ面ではなくて本当に楽しいと感じていることがとても大切だと思います。
何となく気分が良くなるという状態を作ったほうが、結果として周りにいい影響が与えれると思います。
助けることで一番助かるのは自分【実は「ありがとう」と伝えることが究極の人助け】
「ありがとう」と感謝することに対しては自分なりの見解があります。
ここの部分は「ろくに編集もしてない駄文にここまで付き合って読んでくれた人に届けたい」という雑念があります。
「人は深いところで感謝されたがっている」ということなのかなと思います。
人間は理性の生き物なんで、どこかで「ちゃんと牛等が悲鳴をあげて涙を流して死んでいっている」ことに気づいているんだと思います。
理性的なので、「生きることの罪深さを感じている。」基本、「日々感じていなかったとしても深いところに後ろめたさがあります。」
目をそらしても、善意が目を背けさせてくれません。
そんな状況の中では
人は「人から感謝されないとやっていけない」のかなと思います。
そんな負荷がかかっている中でさらに、嫌なこともたくさんあるわけです。
例えば人によっては「やりたくない仕事なんかもしている」わけです。
間違いなく「せめて感謝されないとやっていけない」んだと思います。
人助けのために何をすべきか?
という問いに対して
一番は「全力で感謝できる人になる」ということだと思います。
心の底から。
そうすると様々な上質の技術や思いなどが自分のもとに寄ってくるようになります。
無料で寄ってきているわけではありません。
技術の提供の対価は深い深い感謝です。
これが分かっていると、とても良いものが自分のもとに回ってくるようになります。
「運が良くなる方法」で「感謝できるようになること」と聞いたことはあると思います。
運が良くなっているのではなく「感謝されるということに価値がある」ということです。
まとめ
- 「生きづらさを感じている」なら解決策として「人にいい影響を与えましょう。」
- 「人を助ける方法」として「全力で感謝をしましょう。」
そういう人は今の世の中に特に必要です。なぜなら
- 今や世の中は技術やサービスにあふれています。
- 足りないのは感謝してくれる人です。
需要と供給が一致していません。
世の中はあなたの感謝を求めています。
物余りの時代。
第4次産業の精神性の時代に「もし周りに全力で感謝し表現までできたなら、あなたはそれだけでとても重宝されると思います。」
人は「ロボットの感謝」ではなく、「人間の感謝」を求めています。
自分も「感謝できる気持ちの量と技術を高めたいな」と思います。
今の日本に足りないのは「感謝の総量」と「感謝を伝える技術」だと思っています。
この記事を読んでみて実際に、
- 「感謝と感謝を伝える技術の量が自分の中で増えた」だけでなく、
- さらに「感謝が増えたことで具体的に人生にいい影響があったと体感した方限定」で、
- 「感謝が大切ということを共有したいたった一人の人」に、
- 「日々の感謝の気持ちを伝える気持ちと共に、こっそりばれないように同じ内容伝えてみてください。」
みんな蟻が10。
関連記事:なぜ産まれてきたのか
わからないなりにそれでも一応自分なりに答えを出してみました。
関連記事:第4次産業革命ではとうとう我々も芸術的な感性を磨ける
独りよがりではなく時流を捉えることは大切だと思います。
喜ばせたい相手がいる人がこの記事を読んでくれるのかなと思いました。