【職場や学校に嫌いな人がいる】嫌な気持ちにならない最強の対処方法

仏教で言われてる「四苦八苦」この内の一つが「怨憎会苦(おんぞうえく)」です。

「嫌な人に会いたくねえ」

という悩みは尽きないものです。

嫌な人に会うのは「職場、学校、家庭、社会」です。

仏教でも「四苦八苦」に取り上げられている種類の苦です。

「嫌な人のことを考える時間」というのは「ものすごくエネルギーを使います。」

燃費が悪すぎます。

人生はあっという間ですから「嫌な人のことを考えているような悠長な時間」はありません。

「一刻も早く有意義な時間を過ごしたい」ものです。

日本の大人気アニメ「NARUTOのサスケ」をみて、「サスケさん、もうお腹いっぱいです」と思った人は多いと思います。

自分自身、実際に、かなり多くの時間を、「嫌な人のことを思う時間に費やしてきました」が、

「嫌な人のことを思っても何一つ良いことはありませんでした。」

「何一つ良いことがないと知ることが学び」でした。

「でも考えてしまう。」

このマイナスのサイクル自体を断捨離できたら良いですよね。

断捨離できた場合、大きな意味を持ち「四苦八苦」の一つからの脱出です。

自分が脱出するために心がけている方法がありますが、 できるだけ嫌な気持ちを感じないように心の距離を起きましょう。

その上で、

【この記事の結論】嫌いな人の幸せこそ全力で祈る

嫌いな人の幸せを願っている状態は「ものすごく自分に自信を与え、自分を救ってくれます。」

「嫌な人のことを憎らしく考える状態から脱出できたので、とてもストレスが減りました。

「効果は抜群」です。

言葉を言いかえるならば「自分は幸せになりやすく相手も罪の意識を感じることになるので一番の復讐になると思います。 」

プロゴルファーのタイガー・ウッズもライバルのパターが「入れ」と敵の幸せを願っていたと言う話は有名です。

日々ゆらぎながら、一進一退を繰り返しながらも

「それでも昔より少しずつ嫌な人の幸せを祈る量が増えれば増えるほど、自分が楽になる」と思います。

もちろん嫌いな人の幸せを願うなんてことは、なかなか難しいですが、その分、高い効果が得れると思います。

【嫌いな人がいる】嫌な気持ちにならない対処方法。自ら手を下す必要がない

嫌な人というのは「他人に不快な思いをさせるパターンを無意識的に身につけてしまっています。」

「他人に不快な思いをさせるパターンを無意識的に身につけてしまっている。」

このことがどれだけ「嫌な人自身の人生の足を引っ張るか認識できていない」ことが最も問題なのです。

「腹が立つからわからせてやりたい。」

「思い知らせてやりたい。」

そんな想いに駆られてしまうものです。

しかし、ほっておいても「基本はそういうパターンを持つ人は自分が一番苦労します。」

「天に唾吐く行為」は結局、大きな流れに対して完全に逆張りで、苦しいものです。

「自分の時間を使って手を下す必要はない」

このことをまず認識してしまうと楽になると思います。

自分の中にある嫌な気持ちを処理する 「成長がないと、自分の罪を認識できない」

「相手に対して一切手を下す必要がない」ということが認識できたとしても、「自分の中に溜まっているマイナスの感情を処理しないとしんどいまま」です。

処理しましょう。

処理するために必要な大前提があります。

「人は皆、自分を含めて基本的には未熟で、経験から学んで成長しようとしています。」

自分自身もまた未熟です。

沢山の失敗をしながら、失敗から学びます。

この「失敗が一つ一つの財産」で、「いかに失敗から学ぶかが人生の鍵を握ります。」

「失敗したことがない」と感じる人がいたら逆にそれが「一番の失敗」かもしれません。

「失敗ではなく学びと言い換えている」ならもちろん問題ありません。

「失敗は成功のもう一つの姿そのもの」でもあります。

「同じ失敗を繰り返し、失敗の原因がなんなのかを、自分自身で認識できていない状態が一番しんどい」わけです。

嫌なパターンを持つ人自身、「自分のどこが悪いのかを認識できていません。」

具体例「むかし悪だった人が、罪に気づいて神父になる」

昔悪だった人がめちゃめちゃ丸くなる。

小動物をかわいがる。

こういった話を聞いたことがあると思いますが、この方はきっと、きっかけがあって「自分の罪深さに気づいた人」です。

成長して人の痛みがさらにわかるようになり、「自分自身の罪の深さに気づいた」から、反省できたわけです。

「成長がないと、自分の罪を認識できない」

ということです。

「相手の罪深さを示してやりたい」と思うわけですが

「相手が成長しないと罪の深さが伝わらない」ということです。

言葉だけの反省、無理やりな反省に基本意味はなく

「心の底から自分自身が感じる」ことに本当の意味があると思います。

相手の成長を願いさらに、相手の幸せを願う。

さらにいうと「嫌な思いをした分だけ、お返ししてほしいなー」

という気持ちもあるものです。

「その失敗の経験に感謝でき、自分の財産」になれば、「嫌だと思っていた失敗の別の側面に気づき価値を感じれる」ので「お返ししてほしい」と言う気持ちもなくなるかもしれません。

もし相手が「嫌な思いをさせましたね」と言っておもいきったお返しをしてくれようとしている場合でも

「相手が精神的にも経済的にも、思いっきり潤ってないとそんなことはなかなか起こらない」と思います。

「嫌な人の幸せさえ願えている」ということそのものに価値があります。

「相手の幸せを形だけでなくて心から願うことが一番自分が得します」

「罪を憎んで人を憎まず」ということはありますが、「人の未熟さを許容する」ことも大切かなと思います。

「相手自身も自分と同じく人生から学んでいる」

こうやって思う量が増える分だけ、とりあえずスッキリする量は幾分かは増えると思います。

最後に

「自分自身もまた罪深い。」

「人のこと言えない。」

そんな謙虚な気持ちもまた、相手の未熟さを許せる鍵になると思います。

人の幸せを願っている方が間違いなく自分にとって都合がいいものです。

「お前も幸せになれよ」と思える自分を作っていきましょう。

嫌な気持ちはことごとくなくなり、「自分と周りの幸せを祈れる、心穏やかな時間が少しでも増えること」を祈っています。

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