IT化して情報が均等化されたことで「世の中の当たり前」はものすごく変化しました。
「家」や「肩書き」が大切な時代から「個人」としてどう立ち回るのか問われる時代になりました。
ある意味では「本当の実力が問われる世界になっている」と思います。
世の中には「自分を生きれてこれなかった人」という人がいます。
例えば「ほんの30年ほど前」であれば「家を継ぐ、家業を継ぐ」ことが「個人の人生を生きるよりも尊重されていた時代」があります。
自由に生きれずに「やりたくないのにやっている」という状況は「本人と周りを苦しめてしまう」ものです。
- 「昔ながらのしがらみから開放されたい・させたい」
- 「家を継ぎたくないのに継がされている」
- 立場がある職業をしているうちにすっかり役割をこなすことにハマってしまった
そんな人に「自分を取り戻すきっかけ」になればと書かれた記事です。
自分自身「10代目跡取り」として生まれたから感じる所もあります。
「家を継ぐ」ということに縛られて、「自分の自由は一切ない」と言う考えに至るように教え込まれ、その思い込みの深さに苦しんでいる人たちって以外にいると思います。
自分のような思いはさせたくないと子供には自由を与えてくれた様な世代が今の団塊の世代には多いと思います。
まるで「奴隷が自分の子供だけはそうならないようにと逃がそうとしている。」
そんな世界観です。
跡取りとして家を継ぐのが辛い【家のためでなく自分を生きる】
「自分で考え、自分の決断で決める。人に自分の人生を委ねさせない。自分で自分を大切にする」
ということが大切なんだと思います。
そのためには自分の価値をしっかり自分自身で感じて認識することが大切です。
自尊感情というやつだと思います。
きっと真面目で心優しい人だから忠実に周りの言うことを聞いてきた人が多いと思います。
「周りにいい影響を与えたいなら、幸せを望むなら自分の幸せを一番大切」にしてください。
満たされた心が周りにいい影響を与えます。
自分らしい人生を取り戻すために必要な感性はやはり自尊感情です。
「自分は世界にたった一つしかない存在」という使い古されたありきたりな言葉をどれだけ感じれるかだと思います。
最近、手の指紋は世界に一つしかないものでこれって本当にすごいことだと感じました。
変えがない存在なんです。
自分が完全にオリジナルな存在ということを証明できるものは他にもたくさんあると思います。
なぜ不幸は起こるのか。良かれと思って家を継ぐことを優先して勧めている。悪意はない。
昔は部落など差別もあり「家を守る」ということが生き残るために必要でした。
田舎であればあるほどそういう昔からのつながりというものを大切にする風潮は今でもあると思います。
「家を存続させる」ことが「個人を生かすこと」に直結していました。
「一族がすごかったり、立場がある家柄」だと幼少期より、「自分がやりたくないのにやらされて来た」ことで、周りに流されています。
自分自身がどこにいるのか「今ひとつつかめなくなっているケース」があるから自尊感情が欠落してしまっている場合もあるんだと思います。
経営の神様の「稲盛和夫さんの心」という本によると「自分というものを構築する時に真我」と言う部分がある。
といっています。
真我「心の中心にあって核をなすもの。宇宙そのものとつながってて、そこは真善美でできている」 という考え方です。
どんなにぼろぼろになっていても真我という根っこは汚れようがないため、どん底から復活できる自浄作用はあるということです。
「幼い頃からずっと自分の意見をなしに生きてきた」と言っても自分自身は真善美で消えようがなく、存在しています。
久しぶりに母親に再開して話をしたら
母親の場合は「亡くなった父親との時間」と「料理を作る瞬間」が唯一自分を表現する瞬間なんだと気づきました。
当然「自分自身がそこに表現されているというレベルで作った料理はとても美味しい」です。
同じ食材がこれでもかというほどにいろんな顔を見せます。
自分がそこにしかないかのような表現力です。
プラス面にどれだけ気付けるか
自分を生きれていない人は嫌なとこだけをピックアップして生きている印象を受けます。
プラス面が、「存在しているけど、存在していることが認識できない」ということが問題です。
それがネガティブだということです。
完全に自分がないとか、一番根本が否定されていると「プラス面が存在していることが見えなくなっています。」
自分自身「自分は最高に運がいい」と口ずさむくせがありますが、こうやってると、見落としていたプラス面に気付けるから不思議です。
ぜひ暇な時に呪文のように唱えてみてください。
深くこの言葉が入っているといい方向に進む未知が見える目が養われます。
やらされているのではなく、「納得して自己責任を持って主体的に自分を生きること」
「ちゃんと納得して覚悟して自己責任の量を増やす」という人間力があることが楽に生きるために必要です。
「大きなものに巻き込まれ、思考停止となり、人の言いなり、人のせいにしてしまっているという主体性がない状態」というのが辛いのだと思います。
自分の責任だと思える量が増えると楽になれるものです。
昔は、子供が介護をして当たり前という風潮があります。
子供が親の介護をするのは当たり前、と思っている人はまだまだ今の時代にいます。
自分でやりたくてやっていればいいけどそうでないなら介護する方も地獄です。
老人施設に入れるということは「自分は捨てられた」
と言う考えに直結して考えてしまう人がいます。
まとめ
アナと雪の女王の「Let it go」を聞きましょう。
実はこの記事は申し訳ないですがまだまだ未解決な状態で書いていたのですが
ちょうどこの記事を書いている時にTVでアナ雪がやっていました。
こうやってなんとなく拾うものは偶然ではありません。アンテナを貼っておくと気付けるようになります。
「気づく」ことが大切です。
こういう視点を持つと勝手に良い方向に向かうと思っています。
そしてこの話はここでは半分です。
長くなったので後半にまとめました。