深く関わる人間関係、例えば恋人や夫婦ですが、「数ヶ月も一緒に過ごすと相手の深いところがわかってきます。」
付き合っていれば喧嘩することもあります。
「いつか分かり会えるだろう」と思って過ごす中で、なんとかお互いに相手の理想に近づいていこうと努力します。
その都度衝突をして、分かりあえないことに失望します。
一緒にいるか別れるか「価値観が合わない」素材は変わらないので活かす
「いつか相手が変わってくれること」を期待してまた裏切られたと感じ、時間が過ぎていきます。
お互いに精一杯頑張って過ごしても結局また傷つけあってしまうこともあります。
一緒に楽しく過ごすことはできるのでしょうか。
それとも別れたほうがいいのでしょうか。
「もう嫌だという気持ち」もあれば、「それでも一緒に頑張りたい」という気持ちもあります。
もちろん「相手のいいところ」だってたくさんあります。
別れると別れないはどこで判断すべきなんでしょうか?
歩み寄ることはできるんでしょうか?
このあたりに悩んでいる人に向けて書いた記事です。
自分自身も妥協したくないので都度話し合っていった先に自分なりに答えを出しました。
結論:価値観は変えていけるけど相手の素材(ベース)がどうしても嫌なら離れるしかないのかなと思いますが、その前に色々な観点から考えてみてもいいと思います。
価値観が合わなくても【人は変わることができるが素材は変わらない】
自分も15年間ほどひたすらに自分を変えることを追求してきました。
自分自身も尊敬できる人にたくさん出会い、経験をし目指す姿によって価値観がどんどん変わって新しい発見をたくさんしてきました。
だから人は変われます。
その都度「良いと思うもの」が変わってきましたが、最近になってすごく思うことがあります。
価値観はどんどん洗練されて質は上がって上昇します。
価値観を追求していくにあたって「人には変えようのない部分、素材(ベース)、備わり」があると感じるようになりました。
素材は変わらないので活かす
その人の持つ素材って「遺伝子とか魂?で与えられたものだと思いますので、根本は変わらないと思います。」
例えば好きな食べ物の基本とか。
なんとなく心惹かれて好きなものとか。
遺伝子レベルで素材として与えられている部分があると思います。
みんな違ってみんな良いとかその領域の話です。
笑いの感覚とか。
例えば芸人のピースの又吉さんと、たむけんさんとでは
明らかにベースが違うと思います。
ピースの又吉さんに「たむけんさんみたいになれ」と言っても絶対に滑るでしょうし
オリラジの中田さんなんかは、素材を活かすことを表現する際に
「優れるな異なれ」
と表現されていましたが、さすが素材というものを分析されていて、端的に表現されていますよね。
自分を厳しく律して価値観をどんどん高めていくのは良いですが、
「素材の部分まで自分を変えようとして否定してはいけない」んだと思います。
素材は変えようとするのではなく活かす。
受け入れて「自分という素材を活かすこと」が重要だと思います。
【相談された例】
例えば、女性は「一緒に飲みに行っていろいろな人と混ざり会話を楽しみたい」と思っているとします。
しかし男性はお酒が飲めませんし、初対面と話すのは得意ではありません。
さらに見た目もすごくおとなしそうで、新しい人と会話をしたいと思うタイプではありません。
しかし、機械などを触られると非常に上手に扱うので工場では一目を置かれて出世しています。
また派手さはないものの、家事もこなしコツコツと日々を過ごす忍耐強さがあるようにも思います
お酒も飲めない訳ですし人は新しいところでお酒を飲むことが楽しめるわけではないと思います。
それは価値観ではなくて素材なんだと思います。
社交性を求めても仕方のない部分ですし、得意な場所で自分を活かすほうがずっと良いと思います。
自分という素材を活かしていると【周りの人に対して寛容になる】
自分という素材を大切にしていると「他者に対する寛容性」も出て来ると思います。
- 自分が好きなものは何なのか?
- 自分が得意なものは何なのか?
それは素材の部分だと思います。
そういった部分は
誰にも否定されることのないオリジナリティの部分だと思います。
- 独自に持っている素材を理解して大切にすること。
- 他者の持っている素材を理解して尊重すること。
価値観と素材を分けて考えて見ると、楽になったり行動の選択肢が変わると思います。
自分の場合は、事務作業は業務的に嫌いだけど営業は好きです。
精神科勤務時代は割と事務作業も多かったですが、嫌いなことをどれだけ頑張っても全然成果が出ませんでした。
しかし営業に関しては最初から経験者よりも結果が出ました。
また素材は必ず一緒である必要もなく違うほうがいい場合もあると思います。
役割分担ができるからです。
同じ価値観では、同じ目線の部分が強化されると思いますが、範囲が狭くなってしまうからです。
ですので一概に一緒であることが大切というわけでもないと思います。
案外ベースが違うということに対しては他者に対する寛容性を学ぶという観点でも尊重できるといいのかなと思います。
もちろん価値観が一緒である点も素晴らしいと思います。
【まとめ】
誰に対しても言えることは「自分という素材を理解して、価値観をどんどん高めていくこと」は大切だと思います。
その上で共に過ごす人とは「どんな人生にしていきたいのか。目的地が同じであること」がすごく大切だと思います。
ここをしっかり話し合って、妥協ではなく納得できることがすごく大切だと思います。
それでも納得できない場合は、そこまで突き詰めて話しているのであれば悲観的な別れではないのかなと思います。
せっかく縁があった人に対してはとことん追求して向き合うことが大切だと思います。
いろいろ考えて妥協のない納得のある人生を送りましょうね。